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東京高等裁判所 昭和58年(行ケ)84号 判決

事実及び理由

一  請求の原因一ないし三の事実は当事者間に争いがない。

二  本願考案の内容

1  本願考案の特徴

成立に争いのない甲二ないし第四号証(本願考案の明細書、昭和五六年一〇月一日付、昭和五七年四月一六日付各手続補正書)と後記「シール点近傍」の意味に関する当事者間に争いのない事実によれば、軸に対接するシールリングの使用に際しては、シールリングの唇形部と軸との接触面の圧力が高い場合(例えば大きい船舶の船尾管状部シールの場合)、従来技術では接触面に潤滑油を供給することができず、小さな溝を設けてこれを接触面へ導入する試みがなされていたが、右の試みは成功せず、接触面が十分潤滑されないまま乾燥状態で操作されることになり、そのため、シールリングは摩耗しその損傷を早めるという欠陥があつたこと、本願考案はこのようなシールリング唇形部と軸との接触面、特に軸の上昇変動により増加する接触面における乾燥状態の発生を防止することを課題としてなされたもので、エラストマ材料からなる唇形部が運転中に上昇変動する軸と接触が予想されるすべての面(前叙の本願考案の登録請求の範囲記載の「シール領域」とはこの意味での接触面を指すものと解せられる。)に潤滑剤の供給ができるように、その全部又は一部に後記3に述べる圧力耐性ある被覆を備え、その表面には潤滑剤を収容し得るくぼみを形成することによつて、右のような乾燥状態の発生を防止する効果を奏するとともに、併わせて唇形部と軸との密封性を保持する効果をも奏することをその技術的特徴とするものであることが認められる。

ところで、前掲甲第二ないし第四号証の本願考案の明細書、手続補正書には登録請求の範囲に記載された「シール点又はシール点近傍」及び「くぼみ」を具体的に定義した箇所はなく、その意味で右明細書、手続補正書は不備なものといわざるを得ないのであるが、以下において後記当事者間に争いのない事実と明細書等の全趣旨に照らしてそれらの技術的意義を検討する。

2  「シール点又はシール点近傍」の意義

前叙の本願考案の登録請求の範囲には、シールリングの唇形部が「シール点又はシール点近傍」に被覆を備えていることが記載されている。

そして、「シール点」とは唇形部と軸が正常な状態で接している部分(面)をいい、「シール点近傍」とは右シール点を含まず軸の上昇により唇形部と軸との接触部分が増加した場合のその増加接触部分をいうことは当事者間に争いがない。この事実と前掲甲第二ないし第四号証中のシール面、シール区域、シール部位、シール縁、シール領域なる語の記載、特にこれらと被覆に関する記載(甲第二号証の四頁一四行ないし一六行、五頁六行ないし八行、七頁七行ないし一三行、一五行ないし一七行、一七行ないし八頁一行)に前記1に認定した本願考案の技術的課題、技術的特徴を総合勘案すれば、「シール点」は正常の状態で唇形部と軸が接触している面であり、「シール点近傍」とは軸が上昇変動した場合唇形部と軸との接触面となり得る部分であつて、ともに被覆を備え高い圧力を受けた場合に潤滑剤が供給されていなければならない部分を指すものということができる。

3  「くぼみ」の意義

前叙の本願考案の登録請求の範囲には、被覆を形成する織物が「連続的なプラスチツクフイラメントで形成されており且つゴムで含浸されており、該フイラメントの間に『くぼみ』を形成し、」と記載され、前掲甲第四号証(手続補正書)には、「被覆12は、例えばポリアミドであるプラスチツクのフイラメントで構成され、これによつてそれらの間に耐圧性を有する『くぼみ』を形成する。」との記載がある。

そして、前掲甲第二号証(本願明細書)によれば、本願考案の被覆は、合成繊維例えばポリアミドの長繊維を複合した織布のような平らに結合された形態に予め形成された圧力耐性のある繊維材料をゴムで含浸し、これをシールリング唇形部に対し加硫することにより結合して唇形部に形成されており、その表面は糸の交叉した部分は高く、糸の存在しない部分は低く全体として凹凸状を形成していること、その凹部が前記「くぼみ」であつて、本願明細書の考案の詳細な説明中の「小空隙」、(例えば甲第二号証四頁一五行ないし一六行、一七行)、「狭い空隙」(同五頁一〇行ないし一一行)、小孔(同一二頁一四行)はこれと同意義であることが認められる。また、同号証によれば、被覆の表面が右のようにして形成されるため、前叙の登録請求の範囲記載のとおり、右「くぼみが圧力耐性を有して、使用中、潤滑剤がくぼみに収容され」得ることが認められる。

三  本願考案と引用例記載の発明との相違点の判断

1  引用例の記載内容が審決の理由の要点2に摘示されたとおりであること、本願考案の保持部、エラストマ材料、シール唇形部、シールリングがそれぞれ引用例記載の発明の芯金との接触部、ゴム材料、シールリツプ、オイルシールに対応すること、両者はシール唇形部がシール点近傍に被覆を備え、使用中に潤滑剤が被覆のくぼみからシール領域に分配されるシールリングである点で一致すること、本願考案の被覆を構成している織物がプラスチツクフイラメントで形成され、かつゴムで含浸されているのに対し、引用例の被覆である含油物質は合成樹脂スポンジ体で構成されている点で相違していることは当事者間に争いがない。

2  前記争いのない引用例の記載と成立に争いのない甲第五号証(引用例)によれば、引用例記載の発明は、オイルシールと軸の接触面に適量の潤滑油を供給するために、シールリツプが正常の状態で軸と接触する部位の側面に被覆である含油可能物質(ウレタンホーム等の合成樹脂スポンジ体のほか、発泡ゴム、フエルト、織布、不織布等)を一体発泡又は接着によつて一体的に設け、これが常に潤滑剤を保有して、軸の回転時に接触面に供給し、右接触面における早期摩耗、焼付け等を防止することにその技術的特徴があり、このように被覆の位置がシールリツプの軸との接触面ではなくその側面であるため、被覆としては圧力耐性は問題ではなく、潤滑剤を貯え得る機能を有すれば足りることが認められる。そうすると、シールリツプ(唇形部)と軸との接触面が軸の上昇変動により増加した場合の増加部分に対する潤滑剤の供給ということは、同発明においては技術的課題とはされていないものと認めるのが相当である。

これに対し、前記二1、2において述べたように、本願考案は軸の上昇変動により増加する部分を含めて唇形部と軸の接触面における乾燥状態の防止を課題とするものであつて、被覆の位置はシール点又はシール点近傍であり、右のシール点近傍は、軸の上昇変動により唇形部と軸との接触が予想される面であるから、被覆は、シール点又はシール点近傍のいずれに設けられようとも圧力耐性を有することが必要であり、かつ表面にくぼみを備えていることによつて右接触面に潤滑剤を供給し得るのであつて、このため、唇形部と軸との間の圧力増加にかかわらず乾燥状態の発生防止に役立ち唇形部と軸との密封性を保持する機能を有するものということができる。

このように、本願考案と引用例記載の発明を対比すると、両者は技術的課題を異にし、その被覆の構成及び技術的意識にも差異があり、後者が前者の技術内容を示唆しているものと認めることは困難である。

3  審決は本願考案と引用例記載の発明における被覆のくぼみの圧力耐性を単なる程度の差にすぎない旨判断したが、前記2に認定した引用例記載の発明における被覆である含油物質が前記二3に認定した本願考案の被覆と対比して圧力耐性の点において劣ることは明らかであるだけでなく、そもそも引用例記載の発明には、前叙のとおり、被覆に圧力耐性を持たせるという技術思想はないのである。したがつて、原告主張の取消事由(1)は理由がある。

もつとも、被告は、ナイロン布にゴムを浸透させ、高圧の場合における剛性を高めるようにしたリツプ形パツキンは本願出願前周知であるから、本願考案の被覆の構成は当業者の選択事項である旨主張する。そして、前掲甲第二号証によれば、本願明細書の考案の詳細な説明の項には「従来のパツキングシールリングにおいて、唇形部全体がゴム含浸織布から作られ、その際織布は唇形部にパツキングシールに必要な耐性を与える役目をするものが知られている。」との記載(八頁六行ないし九行)があること及び成立に争いのない乙第一号証の一、二(漏洩防止法、小宮山香苗外四名著、昭和四〇年六月三〇日株式会社誠文堂新光社発行)には、「フアイバーにゴムを浸透させ、高圧の場合における剛性を高めることにしたリツプ形パツキン」についての記載(一二九頁一一行ないし一二一頁七行)があることがそれぞれ認められる。しかし、右はいずれも前記二3に認定した本願考案における織物の布目に対応したくぼみを有する被覆についての記載ではなく、右各記載が本願考案の被覆を示唆するものということはできないから、被告の右主張は採用できない。

4  審決は、被覆が唇形部の側面の適所に設けられている引用例の発明と本願考案の被覆がシール点近傍にのみ設けられている場合を対比し、両者の被覆は必ずしも高い圧力が作用するシール点には設けられていないとして、両者の被覆のくぼみの奏する効果の差を否定している。なるほど、唇形部がシール点において軸と接している正常の場合においては、審決の右認定に誤りはない。しかし、前記二2で認定したとおり、本願考案では軸が上昇変動した場合にシール点近傍もシール点即ち接触面になることを予想し、圧力耐性ある被覆を設けているのであるから、右のように正常な場合についてだけ両者を比較することは前記二1で認定した本願考案の技術的特徴に照らして相当とはいいがたく、軸の上昇変動により接触面が増加した場合について両者を比較すれば、本願考案では被覆が圧力耐性を有するので、潤滑剤はくぼみに適切に保有されるのに対し、引用例記載の発明では被覆の圧力耐性が低いので被覆は圧潰され、潤滑剤がくぼみに適切に保有されることにはならない。したがつて、この点に関する審決の判断は誤りであり、取消事由(2)は理由がある。

5  審決のかかる判断の誤りは本願考案の進歩性を否定した結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、その余の点について判断するまでもなく、審決は違法として取消を免れない。

四  よつて、審決の取消を求める原告の本訴請求は理由があるからこれを認容する。

〔編註〕本件における実用新案登録請求の範囲は左のとおりである。

保持部からラジアル方向に延びて協働表面に対接するエラストマ材料からなる弾性のシール唇形部を具備し、該唇形部が、シール点又はシール点近傍に、織物よりなる被覆を備えている回転部材用例えば軸用シールリングにおいて、該織物が連続的なプラスチツクフイラメントで形成されており且つゴムで含浸されており、該フイラメントの間にくぼみを形成し、該くぼみが圧力耐性を有して、使用中、潤滑剤が、該くぼみに収容され、該くぼみによつてシール領域に分配されることを特徴とするシールリング。

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